いてくれるだけで、ありがとう。

親不知の抜歯後の痛みがなかなか消えず、耳の後ろや頭痛も激しくなると、うずくまってしまって何もできない。鎮痛剤を飲むタイミングを間違えると、しばらくこの痛みに苛まれる。

母がその様子を見て、「かわいそうに、かわいそうに」といって手を握ってくれた。ただの歯痛なのに、もうすっかり大人になった娘なのに、まるで小さな子どもを抱くようにして。

「母親って、どんなに子どもが大人になってもいつまでも母親なんだよね」と、知り合いの男性が話していたのを思い出した。たまに実家に帰るとあれこれ心配してくるんだよな。「もう大人なんだから!」と思うけれど、そうやっていつまでも大切に思ってくれるのが親なんだよなぁ、と話してくれた。

手を握って母の体温を感じたら、妙な安心感があった。「早く、早くこの子の痛みがなくなりますように」というかすかな言葉が聞こえて、恥ずかしい話だけれど、いい年しながら涙が溢れてきた。

「ありがとう、ありがとう」と何度も言いながら、同時に反省もした。母が辛そうにしているときに、これほどまでに心をかけてあげていただろうか。何か通り一遍の看病に留まっていなかっただろうか。

驚くほど細やかに、食べものや栄養のことを心配してくれる母を見ながら、一番大事なのは気持ちなんだな、と思った。なんとかこの人を楽にしてあげたいと思う気持ちがそのまま辛い心を温かく包み込んであげられるのだし、細やかな心遣いは、「こういう時はこうすればいい」といったマニュアル的な考え方ではとてもできない。

そういえば、今朝、出勤時に東京とは思えないほどの雪が積もっていた。大変な交通機関の乱れが生じていた。なんとか会社につくと父から電話があった。
「大丈夫だった?ならよかった。じゃあ」
その一言だけだったのだけど、嬉しくてありがたくて。

それを思い返しながら、本当に家族って、いてくれるだけでありがたい存在なんだなと改めて思った。両親がかけてくれる愛情と同じくらいの気持ちをもって、この人たちが生きている間、精一杯の親孝行をしようと思う。