手を差し伸べたい気持ち

電車の中で

椅子席は全部座っている人がいて、ぽつりぽつり立っている人がいる程度の電車で、扉の近くに立っていた180cmを超える長身の男性が、ある瞬間にそのまままっすぐ、バタンと倒れてしまった。

周囲にためらう空気はあったものの、反射的に私はその方に向かって身体を動かしていた。すると、私の動きを認識するや否や、倒れた男性の近くに立っていた人がかがみ込んで「大丈夫ですか」と声をかけてくれていた。

駐輪場で

駅の近くの駐輪場所が自転車だらけになっていた。女性がたくさんの買い物袋を自転車のカゴにいれ、自転車を出そうとしたとたん、隣の自転車と絡まり、ドミノ倒しのようにその先の自転車まで倒してしまった。

自転車が絡まって身動きできないでいる彼女に向かって走っていくと、後に続くように周囲の通行人も集まって、ある人は落ちた食材を拾い、ある人は倒れた自転車を起こし、数名で女性の自転車の絡まっているのを元に戻した。

女性は何度も頭を下げて「ありがとうございます。ありがとうございます。」といっていた。皆、笑顔で温かい気持ちになった。

歩道橋で

帰宅途中、くだりの歩道橋の階段で、少し汚れた感じのおじいさんが身動き一つせずに倒れていた。私の前を歩く数名はその横をそのまま通りすぎて行ったのだけれど声をかけてみた。聞けば、「誰か後ろから走ってきた人に強く体当たりされて、荷物を持っていかれた。痛くて起き上がれない。」とのことだった。

冬の寒い時期に、身体を起こすこともできずにいるおじいさんをそのまま置いておくわけにもいかないし、何かとても痛がっているので救急車を呼んだ方がいいだろうかと思い「救急車を呼びましょうか」と話していると、後から歩道橋を降りてきた男性が「大丈夫ですか」と声をかけてくれて、救急車が来て一通りの対応が終わるまで一緒にいてくれた。とても心強かった。

自ら良き変化となる

こんな風に遭遇したいくつかの経験から毎度感じることは、とにかく「一番最初に自分が行動を起そうとする」と、周囲の人たちも手助けに乗ってきてくれるということ。その「一番最初」の意思表示がないと、「私は関係ない」空気の方に多くの人が流されてしまうこと。そして、きっかけさえあれば、誰かの助けになりたいと内心考えている人が多くいそうなこと。

内田樹さんの『日本辺境論』だったと思うけれど、「日本人はキョロキョロする」。先に動いている人がいて初めて安心して動ける。だったら、「一番最初の良い変化」に自らがなったらいい、と自分に言い聞かせている。みんなみんな持っているはずの「誰かの役に立ちたい」という優しい気持ちを発動させるきっかけになれたら、どんなに素敵だろう。温かい社会の一部に自分自身がなれたらいいな。

“Be the change you want to see in the world.”(ガンジー

ですね。